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錯触 錯触について

錯視や錯聴に比べると、錯触(さくしょく、haptic illusionもしくはtactile illusion)は聞き慣れないどころか、初めて耳にする人のほうが多いのではないかと思います。錯触とはおおざっぱには、手や指などの身体でふれた物体の触り心地が実際とは異なるように知覚される現象といえます。錯触についてもう少し正確に理解するために、そもそも触覚とはなにかを考えることが有益そうです。実は、触覚はいくつかの定義を持っています。狭い意味では、触覚とは肌の感覚(tactile sensation)であり、物体に触れたときに皮膚で生じる振動や圧、温度変化、侵害刺激の知覚を表します。これらの情報を組み合わせることで、物体表面の形状や粗さ、硬さ、温かさなどを知ることができます。しかし、我々が物体の触り心地を判断するとき、能動的に対象をなでたり、押したり、こすったりしようとすることからもわかるように、指や手、腕の動きも物体の触覚判断において重要な役割を担っています。そこでより広い意味では、肌の感覚に加えて、身体を動かしたときに生じる筋肉や腱の変化、また身体を動かすために筋肉へ送る運動指令なども含めて触覚(haptic sensation)と呼ぶことがあります。視覚や聴覚に比べると、触覚が対象とする感覚は非常に広範囲にわたるのです。イリュージョンフォーラムでは、肌の感覚だけでなく、身体やその運動に関する感覚も触覚コンテンツとして紹介しています。

さて、錯触一覧を眺めてどのように感じたでしょうか? 「こんなにたくさんの錯触があったのか」と驚いた方もいるかもしれません。もしくは「ああ、前に体験したあの現象やこの現象ってそういうことだったのか」と気づいた方もいるかも知れませんし、「この錯触、子供のころ友達と体験したなあ」と懐かしむ方もいるかもしれません。

はじめに、こんなに多くの錯触があったのかと驚かれた方、実は錯触はもっともっとたくさんあります。イリュージョンフォーラムで扱っている錯触はそのごく一部で、高性能な装置や特殊な装置を使わなくても身の回りのもので容易に体験できる錯触に絞っています。なぜこんなに多くの錯触が存在するのにこれまでその存在に気が付かなかったのでしょうか? 色々理由はあると思いますが、一つは、視覚や聴覚に比べて、普段我々が触覚を意識することがそこまで多くないからかもしれません。例えば錯触になじみのない方にベルベットハンド錯覚と呼ばれる現象を披露すると、
私「なんかヌルヌルする感覚がありませんか」
体験者「ありますけどそれが何か」
私「あなたは今、実際にはヌルヌルするものに触れていないですよね?」
体験者「…あっ、確かにそうですね、そうかこれが錯覚なんですね」
のように、しばらくどこが錯覚なのか気づいてもらえないことが多々あります。先行研究では、生まれつき目が見える人は、見えない人よりもミュラーリヤー錯触垂直水平錯触に気づきにくかったが、一度図形を目で確認すれば錯触を体験できるようになったという報告もあり、目が見える人は触覚の訓練が足りないからではないかと考察されています。もしかしたらイリュージョンフォーラムの錯触を体験してみることが、ご自身の肌の感覚や身体の感覚を見つめ直し、日常での触覚体験に意識的になるきっかけになるかもしれません。

次に、日常生活で経験した現象が錯触として紹介されていることに気づかれた方。まったくその通りで、例えば、歯が抜けたあとに歯茎にできた穴が奇妙に大きく感じられる現象(穴の大きさの錯覚)や、冬の日に洗濯物が乾いたかどうかわからない現象(湿り気の錯覚)、「いま強く叩いたよね?」とケンカに発展してしまった経験(感覚減衰)などなど、日常生活におけるあるあるが多く紹介されています。錯覚は奇跡的に条件が揃わない限りなかなか体験できないものと思っている方もいるかも知れませんが、実は多くの錯覚が身の回りの生活の中に潜んでいるのです。このことからわかるのは、神経系が絶妙なバランス感、つまり日常生活が破綻しない程度に効率よく、複雑な現実世界を単純化して推定しようとする仕組みを持っているということです。神経系が知覚処理の効率ばかり重視して乱暴な触覚推定をしていたら、日常生活が成り立たなくなってしまいます。つかんだコップの滑りやすさがわからず落として割ってしまったり、皮膚を這う虫の場所がわからず払いそこねて噛まれてしまったりすることでしょう。日常生活で起こりやすい物体の傾向、例えば「物体はゆっくり等速で皮膚の上を動くだろう」(タウとカッパ)、「物体表面の温度は均一になるだろう」(温度の指間参照)などの傾向を利用して、大体の場合にうまく機能する触覚判断を行っているように見えます。今後、日常の中で錯触に遭遇したときには、なぜその状況が我々の触覚にとって推定困難な状況なのか、考えてみると面白いでしょう。

最後に、子供のころに友人とした他愛もない遊びが錯触として紹介されていて懐かしい気持ちになった方。例えば、コーンスタム現象見えないガラス指の麻痺錯覚ハンガー反射などは友人と一緒に遊んだことがあるかもしれません。これらの錯触は民俗学的錯覚と呼ばれることもあり、人から人へと、ときに書籍や漫画、テレビ番組などのメディアも介して語り継がれてきた錯触でもあります。友人と錯触を共有し合うことで、自分とは全く異なる個体であるはずの友人の中に、自分と同じように不思議な錯触を経験する土壌があることを理解することができるのです(ときには遠い世界の住人と思っていたテレビタレントが、自分と地続きの人間であることに気づいたりもします)。皆さんもぜひ、周りの人々に錯触を披露して、脳や体の仕組みの不思議さを共有し合ってみてください。

横坂 拓巳


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